メニュー

サイト基本情報

東西冷戦構造の高まる

東西冷戦構造の高まるなかで迎えた1950年代は、朝鮮戦争の勃発で幕を開けました。優勢な北朝鮮軍によって、韓国軍、米軍は一時、釜山の一角まで追いつめられましたが、国連軍の仁川上陸で危機を脱し攻勢に転じました。日本占領軍の最高司令官であったマッカーサーの戦線拡大方針に反対だったトルーマンはマッカーサーを解任、53年朝鮮戦争は終結し、38度線による南北朝鮮の分割が固まりました。また、51年にはサンフランシスコで、日米安全保障条約と平和条約が調印されました。しかし、ソ連は参加せず、日本はハッキリとアメリカ陣営の一員となりました。一方、50年代は、“マッカーシー旋風”と呼ばれる共産主義弾圧のムードがアメリカ国内に広まりました。56年再選されたアイゼンハワー大統領は、共産主義の侵略に対抗する“アイゼンハワー・ドクトリン”を発表しています。経済面では戦争景気による結婚年齢の低下、出生率の増加からベビーブームが始まり、人口が急増しはじめます。同時にアメリカ内部での人口移動、つまりカリフォルニアなどの太平洋岸や南西部への人口移動の増加と、一方、南部の黒人が北部や西部の都市へ大幅に移動したことが目立ちます。50年代にはオートメーション・システムが進み、より大規模な大量生産が可能になりました。戦前と比べると豊かさは国民大衆に浸透し、持続する繁栄の下で、アメリカは世界の中で“最も豊かな社会”になりました。50年代の平均成長率は3.1%、失業率は4.5%とほぼ完全雇用に近く、生産性も平均2.5%という高い上昇を記録、しかも消費者物価の上昇率は、わずか1.9%と、アメリカ経済は豊かな安定した成長を実現しました。そしてアメリカは世界の総生産の約4分の1を占め、文字どおり次々とアメリカン・ドリームを実現していく世界の超大国になったのです。

協議の成果を云々するのは早すぎる

最終報告からまだ数年しかたっていないので、協議の成果を云々するのは早すぎるかもしれませんが、日本に限っていえば、約束したことは着実に実行されているといってよいでしょう。たとえば、生活関連の社会資本を充実するための公共投資10ヵ年計画は、すでに動き出しています。大店法(大規模小売店舗法)の運用が改善され、アメリカの玩具チェーンが日本への出店を実現しました。内外価格差は解消していませんが、定期的に価格調査の結果が公表されるようになりました。しかし、アメリカの構造問題はあまり改善されていません。最大の問題である財政赤字は手つかず、アメリカ企業の輸出努力の成果も期待されたほどには上かっていません。このため、構造協議の点検会合ではアメリカの対応に日本が不満を述べる場面も増えていますが、世界経済で重要な地位を占めるアメリカと日本が、お互いの懐にまで手を突っ込んで注文しあうのは悪いことではありません。できることなら、アメリカから注文を突きつけられる前に、日本が自主的に構造的な問題を改善していければもっといいでしょうが、「内圧」が弱ければ「外圧」に頼るしか道はないようにもみえます。

農産物を多く生産しているアメリカ

農産物を多く生産しているアメリカでは、輸出量をさらに増やすために、農業分野の市場をできるだけ開放してほしいという立場をとる。そのほうが、自国の利益が増すからだ。とはいえ、ダンピングのルール策定に関しては、厳格にしてほしくないというのが本音だ。また、農産物を完全に自由化してしまうと、自国より高値がつく国で売るほうがよいということになり、農産物がどんどん流出していく。結果として、経済的に貧しい国では、生産国でありながら食糧不足が深刻化する恐れもある。環境問題をどう扱うかというテーマに関しても、国ごとにかなりの温度差がある。地球温暖化を食い止めようと、環境に配慮した製品や省エネ製品に強い関心を寄せているのはヨーロッパ諸国。いっぽう、アメリカや途上国では、環境への配慮に熱心とはいえない。貿易は各国の経済状況に直結する重大な問題なので、国や地域ごとの思惑が絡み合い、共通のルールをつくるのは至難の業である。しかし、それでも公正が保たれるよう、なるべく多くの加盟国の理解を得られるように調整していくのがWTOの役割なのである。WTOが機能しないと、世界経済は大きなダメージを受ける。その意味でも、現在はドーハラウンドの合意が待たれるところだ。